無の空間
社会で生きていくには雑音が多い。
そう感じる時はないだろうか?
わたしはある。
現在進行で向き合っている病気の症状も原因になっているとは思うが、人が多すぎて気が狂いそうになる瞬間が確かにある。
自分の話題を話しているわけではないのは百も承知だが、他の人同士の会話が妙に心をざわつかせる。
人の声が響きすぎて疲労するときがあるのだ。
一番症状が酷かった時は帽子を深くかぶって人の目線を感じづらくして、イヤフォンをして話し声をシャットアウトしないと生活出来なかったほどだ。
これはインターネットについても言える。
誰かとの繋がりを意識せざるを得ないことが無意識下で体力をゴリゴリ削ってくる。
これも視覚から伝わってくる雑音なのかもしれない。
※尤もここで「インターネット向いてないよ」という意見は一切求めていない。
そういう時もあるというだけで常にそういう感情を抱いているわけではないからだ。
こんな風に世の中は雑音であふれている。
雑音であふれているので「周囲の人間」というものを意識せざるを得ない。そのため、社会という中で生きてみると常に体力が削られてしまうわたしがいるのだ
。
それを和らげ、気力を回復するために部屋にいるときたまにやることがある。
カーテンを閉め、真っ暗にして、イヤフォンをして無音にする。
携帯は機内モードにして鳴らないようにして他の人との関わりを全て断ち、一時的にとはいえ自分一人しか認識出来ない空間を作るのだ。
ここには自分しかいない。
そのため(相手がどう受け取ってるか分からないしょうもない)気遣いなど必要ない。
変に悩まずともこの空間には自分というものが存在していて良いのだ。むしろ自分しか存在できない。
変に気をまわさないで済むから気力も回復出来る。最高だ。
もしかすると自分が一番求めていたのは人と遊ぶことではなくて、人との関わりを一時的に断つことであるような気すらしてくる。
※人と遊ぶのも好きである、悪しからず
さらに言うと、周りの目が気にならない(=他の人と比較しないですむ)環境で思う存分自分自身のことを褒めることができ、わずかとは言え自己肯定感の回復もしている。
いや、しないとやっていけない。
良いか??
作り出した無の空間ではマウント等は存在しない。そこでは皆一人で、皆存在していて良い。
人間関係に悩む人は気分転換も兼ねて、時折そんな空間を作り出しても良いんじゃないか?私もその一人であるし
どんなに小さいことでも構わないからこの空間で自分を褒めて(認めて)、少しでも自己肯定感を高めていこうな??
わたしはそれを応援するぞ。