『歩く歩道』
道路、いや道はいつもそこに存在していて様々な存在が上で移動したり根付いたりしている。
寒い日の朝も、暑い日の昼も、強い雨が降る嵐の夜もずっとずっとだ。
多くの者にとって道の役割は踏まれることであったりする。
存在し続けていることを求められているが、上を移動する者にとって望んでいない移動(地震や高波等)をした際には落胆される悲しき存在とも言える。
これを人間に例えるとどうなるだろうか?
ぼくはこれは小さい子の馬役になって遊んでる方々だと思う。
小さい子の移動のための足場となり、望む移動を行うのだ。言うなれば動く歩道だ。
小さい子の望む移動ならば喜ばれ、思い通りでないとどやされる悲しき動く歩道だ。
しかしこの""動く歩道""には足が備え付けられている。そう、歩くことが出来るのだ。
いわゆる""たかいたかい""と言うやつだ。
「動く歩道」のことを「歩く歩道」と言うと、そのことについて言葉のミスだと指摘してくる人はそれなりにいるが、
人間を「動く歩道の擬人化」だと捉えてしまえば「歩く歩道」というのもあながち間違いではないのかもしれない…
そんなことをぼんやり考えながら今日も時間が過ぎていくのだ。